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    ちごの空寝そらね（宇治拾遺物語うじしゅういものがたり）

    これも今いまは昔むかし、比叡ひえの山やまに児ちごありけり。僧そうたち、宵よいよひのつれづれに、「いざ、かいもちひいせん」と言いひいけるを、この児ちご、心こころよせに聞ききけり。さりとて、しいださんを待まちて寝ねざらんも、わろかりなんと思おもひいて、かたかたによりて、寝ねたるよしにて、出いで来くるを待まちけるに、すでにしいだしたるさまにて、ひしめきあひいたり。

    この児ちご、定さだめておどろかさんずらんと待まちゐいたるに、僧そうの「物もの申もうまうしさぶらはわん。おどろかせ給たまへえ」と言いふうを、うれしとは思おもへえども、ただ一度いちどにいらへえんも、待まちけるかともぞ思おもふうとて、今いま一ひと声こえこゑよばれていらへえんと、念ねんじて寝ねたるほどに、「や、な起おこしたてまつりそ。幼おさなをさなき人ひとひとは寝ね入いり給たまひいにけり」といふう声こえこゑのしければ、あなわびしと思おもひいて、今いま一度いちど起おこせかしと思おもひい寝ねに聞きけば、ひしひしとただくひいにくふう音おとのしければ、ずちなくて、むごの後のちに「えい」といらへえたりければ、僧そうたち、笑わら(ろ)わらふうことかぎりなし。

    朗読ろうどく

    本文ほんぶんの説明せつめい

    1: これも今いまは昔むかし、比叡ひえの山やまに児ちごありけり。
    • いまはむかし今は昔連語今いまから見みると昔むかしのことだが。説話せつわの冒頭ぼうとうによく使つかわれる決きまり文句もんく。
    • ひえのやま比叡の山名比叡山ひえいざん。現在げんざいの滋賀県しがけんと京都府きょうとふの間あいだにある山やま。天台宗てんだいしゅうの延暦寺えんりゃくじがある。
    • に格助場所ばしょ…に。…で。
    • ちご児・稚児名寺院じいんで雑役ざつえきをする少年しょうねん。稚児ちご。
    • あり動ある。いる。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
     これも今いまとなっては昔むかしのことであるが、比叡山ひえいざんの延暦寺えんりゃくじに稚児ちごがいた。 現代語訳を表示     2: 僧そうたち、宵よいよひのつれづれに、
    • そう僧名出家しゅっけして仏門ぶつもんに入はいった人ひと。
    • よひい宵名夜よるの早はやい段階だんかい。日没にちぼつから夜半やはん頃ごろまで。
    • の格助連体れんたい修飾しゅうしょく格かく…の。
    • つれづれ徒然名何なにもすることがなく退屈たいくつであること。
    • に格助原因げんいん・理由りゆう…によって。
     僧そうたちが、夜よるの退屈たいくつさに、 現代語訳を表示     3: 「いざ、かいもちひいせん」と言いひいけるを、
    • いざ感さあ。
    • かいもちひいかい餅名おはぎ、ぼた餅もちの類るい。
    • す動する。
    • む（ん）助動意志いし…う。…よう。…つもりだ。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
    • を格助対象たいしょう…を。
     「さあ、ぼた餅もちを作つくろう」と言いったのを、 現代語訳を表示     4: この児ちご、心こころよせに聞ききけり。
    • ちご児・稚児名寺院じいんで雑役ざつえきをする少年しょうねん。稚児ちご。
    • こころよせ心寄せ名期待きたいすること。
    • に格助状態じょうたい…に。…の状態じょうたいで。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
     この稚児ちごは期待きたいして聞きいた。 現代語訳を表示     5: さりとて、しいださんを待まちて寝ねざらんも、わろかりなんと思おもひいて、
    • さりとて然りとて接そうは言いっても。しかし。
    • しいだす仕出す動作つくり出だす。仕上しあげる。
    • む（ん）助動婉曲えんきょく・仮定かてい…ような。…としたら、その。
    • を格助対象たいしょう…を。
    • ず助動打消うちけし…ない。
    • む（ん）助動婉曲えんきょく・仮定かてい…ような。…としたら。その。
    • わろし悪し形よくない。
    • ぬ助動強意きょういきっと…。
    • む（ん）助動推量すいりょう…だろう。
     けれども、ぼた餅もちを作つくりあげるのを待まって寝ねないとしたら、それもよくないだろうと思おもって、 現代語訳を表示     6: かたかたによりて、寝ねたるよしにて、出いで来くるを待まちけるに、
    • かたかた片方名端はしの方ほう。隅すみの方ほう。
    • に格助方向ほうこう…に。…の方ほうへ。
    • たり助動存続そんぞく…ている。…てある。
    • よし由名ふり。そぶり。様子ようす。
    • にて格助状態じょうたい…で。…の状態じょうたいで。
    • いでく出で来動できあがる。仕上しあがる。
    • を格助対象たいしょう…を。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
    • に接助偶然ぐうぜん条件じょうけん…が。…と。…ところ。
     隅すみの方ほうに寄よって、寝ねたふりをして、できるのを待まっていたところ、 現代語訳を表示     7: すでにしいだしたるさまにて、ひしめきあひいたり。
    • すでに既に副もう。
    • しいだす仕出す動作つくり出だす。仕上しあげる。
    • たり助動完了かんりょう…た。…てしまった。
    • さま様名様子ようす。ありさま。
    • にて格助状態じょうたい…で。…の状態じょうたいで。
    • ひしめく犇めく動集あつまって騒さわぐ。
    • 〜あふあ(お)う〜合ふ補動一緒いっしょに～する。互たがいに～する。
    • たり助動存続そんぞく…ている。…てある。
     もう作つくりあげた様子ようすで、（僧そうたちが）集あつまって騒さわぎあっている。 現代語訳を表示     8: この児ちご、定さだめておどろかさんずらんと待まちゐいたるに、
    • ちご児・稚児名寺院じいんで雑役ざつえきをする少年しょうねん。稚児ちご。
    • さだめて定めて副きっと。必かならず。
    • おどろかす驚かす動起おこす。目めをさまさせる。
    • むず（んず）助動意志いし…う。…よう。…つもりだ。
    • らむ（らん）助動現在げんざい推量すいりょう今いまごろ…ているだろう。
    • 〜ゐいる〜居る補動～ている。
    • たり助動完了かんりょう...た。...てしまった。
    • に接助偶然ぐうぜん条件じょうけん…が。…と。…ところ。
     この稚児ちごは、きっと自分じぶんを起おこそうとするだろうと思おもって待まっていたところ、 現代語訳を表示     9: 僧そうの「物もの申もうまうしさぶらはわん。おどろかせ給たまへえ」と言いふうを、
    • そう僧名出家しゅっけして仏門ぶつもんに入はいった人ひと。
    • の格助主格しゅかく…が。
    • ものまもうす物申す動ものを申もうし上あげる。
    • 〜さぶらふら(ろ)う〜候ふ補動～です。～ます。
    • む（ん）助動意志いし…う。…よう。…つもりだ。
    • おどろく驚く動起おきる。目めをさます。
    • す助動尊敬そんけい…なさる。お…になる。
    • 〜たまふま(も)う〜給ふ補動〜なさる。お〜になる。
    • を接助原因げんいん・理由りゆう…ので。…から。
     僧そうが「ものを申もうし上あげましょう。お起おきになってください」と言いうので、 現代語訳を表示     10: うれしとは思おもへえども、ただ一度いちどにいらへえんも、待まちけるかともぞ思おもふうとて、
    • ども接助逆接ぎゃくせつ確定かくてい条件じょうけん…けれども。…のに。
    • いらふら(ろ)う答ふ・応ふ動返事へんじをする。答こたえる。
    • む（ん）助動婉曲えんきょく/仮定かてい…ような。…としたら、その。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
    • か係助疑問ぎもん…か。…だろうか。
    • もぞ連語懸念けねん…といけない。…たら困こまる。
    • とて格助引用いんよう…と言いって。…と思おもって。
     うれしいとは思おもうけれども、たった一度いちどで返事へんじをするのも、待まっていたかと（僧そうたちが）思おもうといけないと思おもって、 現代語訳を表示     11: 今いま一ひと声こえこゑよばれていらへえんと、念ねんじて寝ねたるほどに、
    • いま今副さらに。もう。
    • る助動受身うけみ…れる。…られる。
    • いらふら(ろ)う答ふ・応ふ動返事へんじをする。答こたえる。
    • む（ん）助動意志いし…う。…よう。…つもりだ。
    • ねんず念ず動がまんする。忍耐にんたいする。
    • たり助動存続そんぞく…ている。…てある。
    • ほど程名うち。あいだ。
    • に格助時とき…に。…時ときに。
     もう一声ひとこえ呼よばれてから返事へんじをしようと、がまんして寝ねているうちに、 現代語訳を表示     12: 「や、な起おこしたてまつりそ。幼おさなをさなき人ひとひとは寝ね入いり給たまひいにけり」
    • や感おい。これ。呼よびかけの語ご。
    • な副…するな。…しないでくれ。
    • 〜たてまつる〜奉る補動～申もうし上あげる。お〜する。
    • そ終助禁止きんし…するな。…しないでくれ。
    • 〜たまふま(も)う〜給ふ補動～なさる。お～になる。
    • ぬ助動完了かんりょう…た。…てしまった。…てしまう。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
     「や、お起おこしするな。幼おさない人ひとはぐっすり寝入ねいってしまわれた」 現代語訳を表示     13: といふう声こえこゑのしければ、
    • の格助主格しゅかく…が。
    • す動する。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
    • ば接助原因げんいん・理由りゆう…ので。…から。
     という声こえがしたので、 現代語訳を表示     14: あなわびしと思おもひいて、今いま一度いちど起おこせかしと思おもひい寝ねに聞きけば、
    • あな感ああ。
    • わびし侘びし形がっかりだ。興きょうざめだ。
    • いま今副もう。あと。さらに。
    • かし終助念ねん押おし・確認かくにん…よ。…ね。
    • おもひいね思ひ寝名思おもいながら寝ねること。
    • に格助状態じょうたい…に。…の状態じょうたいで。
    • ば接助偶然ぐうぜん条件じょうけん…と。…ところ。
     ああ残念ざんねんと思おもって、もう一度いちど起おこしてくれよと思おもいながら寝ねて聞きいていると、 現代語訳を表示     15: ひしひしとただくひいにくふう音おとのしければ、
    • ひしひしと副むしゃむしゃと。
    • くふう食ふ動食たべる。
    • に格助強意きょうい…に。
    • くふう食ふ動食たべる。
    • の格助主格しゅかく…が。
    • す動する。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
    • ば接助原因げんいん・理由りゆう…ので。…から。
     むしゃむしゃとひたすら食たべる音おとがしたので、 現代語訳を表示     16: ずちなくて、むごの後のちに「えい」といらへえたりければ、
    • ずちなし術なし形どうしようもない。方法ほうほうがない。
    • むご無期名長ながい時間じかん。
    • の格助連体れんたい修飾しゅうしょく格かく…の。
    • に格助時とき…に。…時ときに。
    • えい感はい。
    • いらふら(ろ)う答ふ・応ふ動返事へんじをする。答こたえる。
    • たり助動完了かんりょう…た。…てしまった。
    • けり助動過去かこ…た。…たそうだ。
    • ば接助偶然ぐうぜん条件じょうけん…と。…ところ。
     どうしようもなくて、長時間ちょうじかん経たってから「はい」と返事へんじをしたところ、 現代語訳を表示     17: 僧そうたち、笑わら(ろ)わらふうことかぎりなし。
    • そう僧名出家しゅっけして仏門ぶつもんに入はいった人ひと。
    • かぎりなし限りなし形限かぎりがない。この上うえない。
     僧そうたちは大笑おおわらいした。 現代語訳を表示

    現代語訳げんだいごやく

    これも今いまとなっては昔むかしのことであるが、比叡山ひえいざんの延暦寺えんりゃくじに稚児ちごがいた。僧そうたちが、夜よるの退屈たいくつさに、「さあ、ぼた餅もちを作つくろう」と言いったのを、この稚児ちごは期待きたいして聞きいた。けれども、ぼた餅もちを作つくりあげるのを待まって寝ねないとしたら、それもよくないだろうと思おもって、隅すみの方ほうに寄よって、寝ねたふりをして、できるのを待まっていたところ、もう作つくりあげた様子ようすで、（僧そうたちが）集あつまって騒さわぎあっている。

    この稚児ちごは、きっと自分じぶんを起おこそうとするだろうと思おもって待まっていたところ、僧そうが「ものを申もうし上あげましょう。お起おきになってください」と言いうので、うれしいとは思おもうけれども、たった一度いちどで返事へんじをするのも、待まっていたかと（僧そうたちが）思おもうといけないと思おもって、もう一声ひとこえ呼よばれてから返事へんじをしようと、がまんして寝ねているうちに、「や、お起おこしするな。幼おさない人ひとはぐっすり寝入ねいってしまわれた」という声こえがしたので、ああ残念ざんねんと思おもって、もう一度いちど起おこしてくれよと思おもいながら寝ねて聞きいていると、むしゃむしゃとひたすら食たべる音おとがしたので、どうしようもなくて、長時間ちょうじかん経たってから「はい」と返事へんじをしたところ、僧そうたちは大笑おおわらいした。