つとめて、いぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、女のもとより、詞はなくて、
君や来しわれやゆきけむおもほえず夢か現か寝てかさめてか
男、いといたう泣きてよめる、
かきくらす心のやみにまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ
とよみてやりて、狩に出でぬ。
野に歩けど、心はそらにて、今宵だに人しづめて、いととくあはむと思ふに、国の守、斎の宮の頭かけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜、酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張の国へたちなむとすれば、男も人しれず血の涙を流せど、えあはず。
夜やうやう明けなむとするほどに、女がたより出だす盃の皿に、歌を書きて出だしたり。取りて見れば、
かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
と書きて末はなし。その盃の皿に続松の炭して、歌の末を書きつぐ。
またあふ坂の関はこえなむ
とて、明くれば尾張の国へこえにけり。
斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御女、惟喬の親王の妹。
翌朝、(男は)はっきりしなくて気がかりだけれど、自分の方から使いの者を送るわけにはいかないので、大変じれったく思いながら待っていると、すっかり夜が明けてからしばらくたった頃に、女のところから、(歌以外の)言葉はなくて、
あなたが来たのでしょうか、私が行ったのでしょうか、わかりません あれは夢なのか現実なのか、寝ている時のことなのか、目覚めている時のことなのか
男はとても激しく泣いて、詠んだ(歌は)、
真っ暗な闇の中にいるように心が乱れて何が何だかわからなくなってしまいました あれが夢なのか現実なのかについては、今夜確かめてください
と詠んで女のもとに送って、狩に出かけた。
野原をあちこち狩をしてまわるが、心はうわのそらで、 せめて今夜こそは人の寝静まるのを待って、とても早く逢おうと思っていると、この国の国司で斎宮寮の長官を兼任している人が、狩の使が滞在していると聞いて、一晩中酒宴を催したので、まったく(女と)逢うこともできず、夜が明けたら尾張の国に向けて出発しようとしているので、男もひそかに辛い涙を流して悲しむが、どうしても逢うことができない。
夜がそろそろ明けようとする頃に、 女の所から出す盃の台皿に、(女が)歌を書いて差し出した。 手に取って見ると、
徒歩の旅人が渡っても決して濡れない浅い入り江ですから――(私たちには)浅いご縁がありますから
と書いてあって、下の句はない。その盃の台皿に、たいまつの燃え残りの炭で、歌の下の句を書き加える。
(私は)また逢坂の関を越えてここへ来るつもりです――いつかまたきっと逢いましょう
と詠んで、夜が明けたので尾張の国に向けて国境を越えて行ったのだった。
斎宮は、清和天皇の御代(の斎宮で)、文徳天皇の御娘、惟喬親王の姉妹(である)。