二十日の夜の月出でにけり。山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。
かうやうなるを見てや、昔、阿倍仲麻呂といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、船に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。飽かずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。その月は海よりぞ出でける。これを見てぞ、仲麻呂の主、「わが国にかかる歌をなむ、神代より神も詠ん給び、今は上中下の人も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む」とて、詠めりける歌、
青海原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
とぞ詠めりける。かの国人、聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を、男文字に様を書き出だして、ここの言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、 いと思ひの外になむ賞でける。唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。
さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、
都にて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ
二十日の夜の月が出てしまった。山の稜線もなくて、海の中から出て来る。
このような情景を見てだろうか、昔、安倍仲麻呂といった人は、唐の国に渡って、帰って来た時に、船に乗る予定の場所で、その国の人が、送別の宴会を開き、別れを惜しんで、あちらの漢詩作りなどをした。名残惜しかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまで宴会は続いた。その月は海から出た。これを見て、仲麻呂様は、「私の国ではこのような歌を、神々の時代から神もお詠みになり、今は身分が高い人も中ぐらいの人も低い人も、このように別れを惜しんだり、また喜びがあったり、悲しみがあったりする時には詠みます」と言って、詠んだ歌は、
青い広い海をはるかに見渡すと、春日にある三笠山からのぼった月が見えることだよ
と詠んだのだった。その国の人は、これを聞いても理解することができないだろうと思われたが、言葉の意味を、漢字でその様子を書き表して、ここの言葉を伝えている通訳に言い知らせたところ、意味を聞き知ることができたのだろうか、とても意外なほどに賞賛した。唐の国とこの国とは、言葉は違っているが、月の光は同じことであるはずだから、人の心も同じことなのだろうか。
さて、今、当時のことを思って、ある人が詠んだ歌は、
都では山の上に見た月だが、ここでは波からのぼって波に沈むことだよ